DVD『キン肉マン』
●『キン肉マン』DVDスペシャルインタビュー第5回第6回
インタビュー第5回目第6回目は、二回に渡ってシナリオライターの寺田憲史さんにお伺いする。今回は、アニメ版特有のギャグの秘密や原作の魅力の活かし方について迫ってみたい。
―――『キン肉マン』の脚本のお仕事をどういう経緯で受けられたのですか?
「以前、僕は手塚プロで、アニメの『鉄腕アトム』カラー版の文芸担当という のをやってました。あの当時、手塚先生のアニメ作品にはシナリオライターとして 『機動戦士ガンダム』の星山博之さんとか、『宇宙戦艦ヤマト』の藤川桂介さんに 山崎晴哉さん(のちの『キン肉マン』メインライター)という、そうそうたるメンバーが集まっていましたね。その時すごく晴哉さんにお世話になったんですよ。僕は演出や絵コンテなんかもやっていたんだけど、そういう方にいろいろお世話になっていくうちに、シナリオライターという仕事に興味を持ちはじめました。それで『アトム』の制作が終わった時に、藤川桂介さんの推薦で『まいっちんぐマチコ先生』のアニメ脚本を書かせてもらうことになったんです。その仕事がデビューで、2年ほど書きましたね。でも結局、それ1本しかやったことないし、名前も知られてないからシナリオライターとしての依頼がその後、なかなかない。それで、「晴哉さん、僕シナリオを続けたいんですけど」って相談したら、「じゃあちょうど『キン肉マン』ってのがあるから一緒にやんないか」って誘っていただき、入れてもらったのです」
―――原作の『キン肉マン』に対する印象はどうでしたか?
「第一印象はオナラで空を飛んだりして、キタナイ漫画だなと思いました(笑)。でもこれが今、受けてんのかなって思って。それに格闘技とか熱血感動ものは好きだし読んでいったら、これはギャグじゃなくてやっぱり友情物語だなと気付いたんです。それで一気に読んでしまいました。これは面白くなるなという予感はしましたね」
―――アニメではキン骨マンとイワオがギャグの部分で毎回出てきますが…?
「テレビのシリーズっていうのは、キャラクターを定着させて毎回出すことが視聴者に対してのサービスだと思うんです。それで視聴者が毎回見ていくと、『キン肉マン』の物語は続いてるんだけども、相変わらず中野さんが出てくるし、その中をイワオとキン骨マンがなんかもチョコチョコやってる…という感じが欲しかったんです。だから原作にはなくても、ちょっと彼らに役を与えるということをやっていきました。結構知られてないんですけど、キン骨オババっていうキャラクタ-は僕が作ったんですよ」
―――そうなんですか、あのキャラクターは後半くらいからの登場ですよね。
「シナリオを2年くらい書いてて、その頃、田宮さん(プロデューサー)なんかとしょっちゅう仲良く呑んでまして。長く続くとみんな親しくなるから、結構ワイワイした雰囲気になっていった。それが作品に反映されるとものすごくいいものになるんですよ。それでよく作品の話もしたのですが、キン骨マンはいつもイワオの事いじめてばかりでしょ?そしたらキン骨マンをいじめるやつが出てきたら面白いなって。それで、キン骨オババっていうのをシナリオ書いててふっと思いついて。書いてみたら田宮さんや晴哉さんも喜んで、コイツ面白いね、となって毎回出そうと。で、結構頻繁に出すようになりましたね」
―――原作ものである『キン肉マン』のシナリオを書く時、どの様なことに注意されてましたか?
「『キン肉マン』に限らず原作ものを扱う場合、シナリオでやらなきゃならないのは毎回約20分のドラマを作ることなんです。ここからここまでの原作の中で、これがクライマックスっていうのをギュッと自分で見つけだして、それを起承転結の一番もりあがるところに持ってくるということなんです。20分の中に毎回見せ場を用意するには、原作をただなぞっていってもしょうがないんでね。ただし原作を壊さないようにはしましたよ。ゆでたまごさんがすごく才能のある人なんで、本当にちょっとしたワンカットで非常に深いドラマを描くところがあるんですよ。そこをキチッと拾い上げて20分のシナリオの中に膨らまして、なおかつギャグも盛り込むってことですね。キン肉マンは、単なるギャグ物じゃなく、ドラマがよかったんですからね。
シナリオライターとして、そのへんをきちっと押さえないといけない。その点はもう山崎晴哉さんは第一人者でした。僕は、晴哉さんからいろいろ学ばせてもらいながら晴哉さんが直球なら、こっちは変化球をなげてやれっていう思いで仕事しました。
―――ギャグを入れつつ、ドラマを盛り上げないといけないバランス感覚っていうのがすごく難しいと思うのですけども。その辺は?
「そうですね。一番、間違っちゃいけないのは、ギャグを書こうと思ってキン肉マンを書いた人がいたら失敗したと思いますよ。武井さん(当時、日本テレビプロデューサー)、田宮さん、晴哉さん、僕の間では常にこれは努力、友情、勝利だという風に言い続けてきました。田宮さんがずっとその言葉を気に入ってて、シナリオの製本のところにも田宮さんの一存で、努力、友情、勝利って書いてありました(笑)。だからドラマをきちっと書こうと。その中でちょこっとしたお遊びをね。キン肉マンって幅広いでしょ。すごいこと言った後、すぐズコッケたことを言って、「王子!」ってミートくんに怒られて…というパターンなんだけど、そこのところでホッとして次へいける。これをギャグでだけでずーっとやってたら、絶対にすぐ終わってますよ」
―――故・山崎晴哉さんの人柄というか、一緒にやられてどういう方でした?
「そうですね。晴哉さんには本当にお世話になりました…。一言でいっていい意味で器用な方だと思いますよね。つまりギャグならギャグ、ドラマならドラマみたいに柔軟なところがある。シナリオライターの先輩達がいっぱいいたんですけど、俺は生活ドラマしか書かないとかそういう人たちであれば、おそらく『キン肉マン』は書けなかったと。あと、晴哉さんのシナリオは、あの浪花節的なところがすごいなと思いました。僕自身も浪花節はものすごく好きでして、クサイものは、すごくクサイ方がいい。それは、晴哉さんの信念でもあったと思いますね。やっぱりクサイものはそれなりの感動も生むし、そこは照れずにいったほうがストレートに伝わるんです。日本人の気持ちのいい浪花節なところ、そこは照れずにこれからも書いていこうって思いますね。でも晴哉さん自身は本当におしゃれな人だったんすよ(笑)」
―――シナリオライター・寺田憲史さんのインタビュー後編をお送りします。キン肉マンというキャラクターの、隠された深みがわかる!?キン肉マン』の作品の中で動かしやすかったキャラクターはありますか?
「やっぱりキン肉マンかな。一方で浪花節を語りながら、一方でいいかげんなことを平気でやって、すぐに戻ってくるという。そういう意味でキン肉マンは、キャラクター的に深いと思いますね」
―――当時、あそこまでギャグやりながら、真面目なセリフも言えるキャラクターは、珍しかったですよね。
「真面目な話してたら、突然、牛丼の曲がかかったり。でもダラダラせず、すぐに「ところでテリーマン」っていう具合で、元のトーンに戻る。しつこく笑わせようとするとお客さんが逃げちゃう。一発ポンと決めたら次に。それはシナリオでも気をつけたし、演出も上手い人達ばかりでしたからね」
―――他にも印象的なキャラクターはいましたか?
「僕はウォーズマンが印象的でしたね。非常にゆでたまごさんの作り方が上手かったんだと思うんだけど。ちょっと暗くて屈折したキャラクターが好きなんです。ウォーズマンやラーメンマンやブロッケンJr.は、それだけで別のストーリーができるじゃないですか。そういう意味でいうと、テリーマンは優等生すぎて僕には動かしにくかった。だから僕なりに彼は“解説超人”という役割を与えてみたんです。あれは原作にはなかったと思います。ロビンマスクの場合は、偉そうにしゃべってるとキン肉マンが「そうだよね、正統派の超人だもんね」みたいなことを言ってみたりとかね。おちょくる方向性にもっていくことでそういった正義超人は逆に楽しく扱えました」
―――シリーズ中、寺田さんが一番お気に入りだったのは、どの辺ですか?
「悪魔超人編が一番面白がってできました。アクの強いキャラがたくさんいましたからね。そのちょっと前に出てたベンキーマンもよかったですね。やっつけた敵をお腹の便器に丸めて流しちゃう(笑)。ゆでたまごさんの発想はすごいですね」
―――TVシリーズ以外のところでは劇場版もありましたが、普段と違ったご苦労などは?
「僕は『ニューヨーク危機一髪』の1本だけです。あれは苦労というよりも、やっと僕にも劇場版を書かせてもらえたという思いでした。晴哉さんが劇場映画のシナリオを年に2本やってたんですよね。ぼくはまだ新人だったし、劇場版は晴哉さんという暗黙の了解があって、当然ですけど、なかなかやらせてもらえなかったんです。もちろん僕も、長篇というのを書きたくてしようがなかったですよ。ところが、晴哉さんが劇場版を書かれていた同時期に、『キン肉マン』でもう1本、テレビスペシャルの特番で1時間ちょっとの作品を作ろうという話になって。それで、晴哉さんが同時に長篇を2本も抱えるわけにはいかないという事で、やっと僕に話が回ってきたわけです。それで、プロットを必死に書き上げて、プロデューサーの田宮さんに持っていったら、「面白いね」ってことに。でもその企画は、途中でなくなっちゃたんですよ。僕としてはすごく残念でした。でも田宮さんがそのプロットのことをよく覚えていてくれて、「あれ、もったいないから今度の劇場版に使おう」って言ってくれて、それで劇場6作品目にしてやっと映画デビューできたってわけです」
―――劇場版は全部で7作ありましたからね。
大変なブームになりましたが、寺田さんご自身にその予感はありましたか?「ブームつくってやろうとか、あんまりその当時の僕にはなかったですね。やっぱり新人だったんで。本当にその時は晴哉さんより面白いものを書いてやろうとか、それ以外はなかったかも知れない。でも、違うメディアに展開すると、今度はおもちゃになったり、映画になったりするじゃないですか。その辺で話題作をやることの面白さっていうのを感じましたね。当時、うちの息子が幼稚園児で、キン消しにはまっちゃってね。それで僕が書いた本『ルーカスを超える』(小学館刊)にもあるんですけど、キン消し指しながら「これお父さんが作ったんだぞ」なんて言ってましたね。ちょうどその頃、『キン消しの子守唄』という歌の歌詞を書いたんですよ。『キン肉マン』は、本編以外にも歌があったんです。各超人の歌とかも色々ありました。コロムビアから出たそれらの歌をキン肉マンとミート君が解説しながら、曲を紹介するカセットテープを作ったんですが、その時に、「一曲作らないか」という話を頂いて。それで、作詞したんです。ちなみに、これが僕の作詞デビューですね」
―――『キン肉マン』の脚本を書いていくなかで学んだ事や、寺田さんの脚本家としてのポリシーとして確立していったものはありましたか?
「自分が面白いと思うもの、納得できるものじゃないと、他の人も面白がらせられないかなって思いますね。例えば、『鉄腕アトム』でも手塚治虫先生の原作っていうのがあるわけじゃないですか。シナリオとして出来たものが手塚先生を超えろとまでは言わないけれども、映像にした時に、原作の『アトム』をこんな凄い作品にしたっていうシナリオでないとね。それが出来なかったらシナリオライターとしては失格だと思うし、その才能が求められるわけだから。原作がいいものであればあるほど、発表するメディアで表現した時に、より魅力的なことをやれないといけないかなと思いますね」
―――最近はどんなお仕事をなされていますか?
「2003年の春、放送予定の『FIRE STORM』をやっています。『サンダ-バード』で有名なジェリーアンダーソンさんが原案です。今回、僕はシナリオライター兼、監督としてやっています。3Dをいっぱい使ったオリジナル作品です。少し日本っぽい感じに、キャラクターにも修正を加えました。とにかく、CGがすごいんで話題になってくれればいいなと思います。楽しみにして下さい」
東映ビデオ「キン肉マン」Vol.5+Vol.6より
interview 1: キン肉マンDVD
03年.あの往年の名作にして、今もなお根強いファンを持つ「キン肉マン」がDVD発売された。
寺田憲史は、シナリオを担当した当時、ド新人!その心意気をインタビューで語る。(DVDに収録)