09/03/20....
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この愛らしきアトム
寺田憲史(作家・脚本家)
アメリカのインテリたちの間では、self parody『セルフ・パロディ』などという言葉が流行ってるんだそうな。自分自身のことをパロディ化しちゃって、「こんなぼくって、おバァカさん」ってジョークにしちゃうっていうか、自分自身のアイデンティティを茶化す余裕を示すことで、逆に優越感を得る、なんていうことらしい。
映画監督のウッディ・アレンが、自分自身ユダヤ人のクセに、自作の映画の中で『自分のようなニューヨークにいる多くのユダヤ人』のことを盛んに皮肉って、「ほんと、こういうユダヤ人には困ったものネ」と笑いのネタにしてしまう、あの感覚である。
このself parody。自分に対して、さほど自信のない人にはとてもできない芸当である。なんたって自分自身の『笑える部分』をぐいっと他人の前に晒し、ものの見事に笑いを取りながら、そのいっぽうでしっかりと自分の魅力をアピールしちゃってる、っていうかなり『自信の裏付けのある』人でないとできないワザだからだ。
さて、この『アトムキャット』は、まさにあの『アトム』のパロディであることは間違いない。しかも手塚治虫ご本人による、パロディ、self parodyである。
手塚治虫は、作中、何かと本家本元のアトムを引き合いに出してストーリーを進めるが中でも、アトムキャットとコンビを組むいじめられッ子つぎ夫クンが、「アトムの七つの威力って、どれもセコイなぁ」などと大胆発言をしているのには驚かされる。
いいですか?アトムの「七つの威力」ですよ。
これはもう、あの永遠の名曲「そーらをこえてぇー♪」というテーマソングの中にもしっかりと歌われている「七つの威力」なのである。「力は、十万馬力」「ジェットエンジンで空を飛ぶ」「目がサートライト」「耳の聞く力を一千倍にできる」「おしりのレーザーガン」「七十ヶ国語をしゃべることができる」そして何よりも『鉄腕アトム』という作品の根底に流れるテーマに繋がる「人間のよい心と悪い心をテレパシーでキャッチできる」っていう、七つの神器のようなモノである。本邦初のTVアニメ『鉄腕アトム』(白黒でしたね)に大感動して現在の仕事に就いたぼくなんぞには、それこそ親の名前を忘れても絶対に忘れてはならないほど、神聖な「七つの威力」。子供時代、この「七つの威力」を誰よりも早く列挙できるっていうのは、ぼくの最大の誇りでもあった!
で、この「七つの威力」。これを、あろうことか手塚治虫本人があっさりと「セコイ」と言い切ってしまうことが、じつは手塚治虫のスゴイところだとぼくは言いたいのである。
『アトム』ファンならご存知かと思うが、今年2003年の4月7日は天才科学者・天馬博士によってアトムが作られた・・いや生み出された日である。その『アトム誕生の巻』が世に送り出されたのは、今は昔。それから、いやそれ以前から手塚治虫は、数々の作品群の中で無数の未来予言を行ってきた。それは、アトムのような自分自身で考え人間の感情に限りなく近い感覚を持ったヒューマノイドの誕生をはじめ、ホバークラフトや宇宙技術、生活家電の進歩といったものにまでおよぶ。そしてアトムの誕生年を意識したマスコミが、手塚治虫が創造した未来の技術が確実に現実のものになってきていると、このところ騒ぎ立ててもいる。つまり今さらぼくが力をこめて言うほどのことではないが、手塚治虫という作家は、その貪欲な創作活動を通して、つねに数十年、数百年先の「今」をしっかりと見据え、表現してきた人なのである。そんな彼にとっては、「アトムの七つの威力」など過去の作品群の中にまぶした一つのエレメントに過ぎないのかも知れない。
たしかに、現代においては「ジェットエンジンで空を飛ぶ」のも「レーザー銃」も夢の夢ではないかも知れない。なんたってアシモフが、転んでも立ち上がり、ダンスしちゃう時代である。犬語の翻訳機がオモチャ会社から発売される時代だ。
しかし、・・・でも、である。数々の名作を生み出してきた手塚治虫ではあるが、その中でも『アトム』はトップ3に入る作品であろう。それを、しつこいようだが作者本人が自分で売り出した「七つの威力」をあっさりと「セコイ」と言って茶化してしまうなんてことは、クリエイターとして余程自信がないとできないことではなかろうか?
ワタクシごとで恐縮だが、ぼくは主にアニメとゲームの世界で仕事をしてきた。この世界には、たかだか一発当てたぐらいで、後頭部が地面に埋まるんじゃなかろーかって思うくらいふんぞり返ってしまう「成金クリエイター」がけっこう多い。作品が「売れた」のは、たまたまタイミングがよかったとか、組んだパートナーがよかったとか、様々な要因があるのだが、本人は一人天下である。そして、ちやほやする周囲に梯子を登らされるだけ登らされて、結局降りる術さえ失って短いクリエイター生活を終える、なんてことのなんと多いことか。そんな連中に、この手塚治虫のマネはまずできっこあるまい。
手塚治虫は、臨終のベッドで遺作となったTVアニメ『聖書物語』の絵コンテチェックに明け暮れた。その旺盛な創作意欲は、最後の最後までけっして枯れることはなかった。だからこそ手塚治虫は、多くの作品の中で自分自身、または自分で生み出したキャラクターたちをパロディ化して、高尚な遊びを楽しんだのだろう。あの天才にとって、過去はそれほど固執するものでなかったはずだ。なんせ、彼の全身からは、新しいアイデアがふつふつと沸き起こって、つねに未来に向かって創作の火を燃やしていたのだから。
ぼくは、ほんの一時期だが手塚治虫の近くで仕事を覚えたことがある。そんなぼくにとって、『アトムキャット』は、改めて先生のエネルギッシュな創作活動を思い出させてくれる作品なのである。
秋田文庫「アトムキャット」(解説より)
essay 1 :この愛らしきアトム
03年4月 寺田憲史が師と仰ぐ手塚治虫の名作「アトムキャット」が秋田書店より文庫化!それにともない、寺田憲史が師との思い出を交えて、解説文を寄稿した。